2007年 04月 25日
筍讃歌 |
不作を噂されていた筍が、あちこちでエライ勢いで頭を出し始めた。
筍は偉大なる食物である。手間いらずの循環型作物であり、容易に手に入る。調理も簡単、美味であり、料理のバラエティーも豊富である。などと言ってみてもそれはある意味、我々のように田舎に住んで竹林を身近にもつものだけが語れる特殊事情なのだろうか?
我々は筍を買うなどと言うこと自体考えられないが、一般的には、人はちゃんとお金を払って購入するのである。たとえば京都なんかでは、春を告げる味覚の代表として、その出始めにはメンタマが飛び出るような値段で八百屋の店先に並んでいる。勿論そのためには、農家の人は竹林に土入れをし肥料をやって、一年がかりで手塩にかけて育てている。収穫期には白子と言って未だ土の中にある筍を丁寧に掘り起こして、朝一番に市場に持っていかなければならない。まあ、立派な栽培食物である。我々は、間違いなく山菜感覚である。
調理法に関しても違いはある。筍には独特のエグ味があるからとのことで、そのアクを取るために苦労する。米ぬか、米のとぎ汁、重曹などをつかって一緒に湯がかなければならない。その手間を面倒がって、あるいは剥いたあとの皮の処理に困って、敬遠する向きも都会の主婦層にはあるようだ。エグ味は筍採取後の時間に比例して蓄積される。我々はというと、掘り立てを五分以内に湯がきはじめるから白湯だけで十分である。そして、(ここが重要!)剥いたあとの皮は、紙にする。
ことほど左様に田舎と都会では、筍に対する向き合い方、考え方が違う。とはいえ、変わらないのは筍料理のもつ独特の魅力である。
ヤツガレ、筍が無二の好物である。一度、自分は竹が好きで、竹にお世話になって生活をしているのだから、筍を食べるのは止めようかと考えた時期があったが、そんな考えはあっさり捨てた。最初に言った通り、竹は循環型の植物であって、よく伐って、よく間引いたほうが竹の為にも良いからだ。もしも竹(あるいは筍)が非常に希少な存在になって、得難い資源となったならそのときはまた考えもしよう。(今や高級食材である松茸が、昔、この地では食傷するほど採れたのだと言う。今はさっぱり!それと同断にはできないけれども)
反対に、筍だけを摂取し続けて、その排出物から繊維を取出して紙にしてみたらどうなるだろうかと実験したこともあったが、これは然るべき結果を出す前に悲惨な結末を迎えた。これはあまり上品な話ではないので、詳述しない方がお互いの為だろう。
いずれにしても、極端はよくないのである。
筍は偉大なる食物である。手間いらずの循環型作物であり、容易に手に入る。調理も簡単、美味であり、料理のバラエティーも豊富である。などと言ってみてもそれはある意味、我々のように田舎に住んで竹林を身近にもつものだけが語れる特殊事情なのだろうか?
我々は筍を買うなどと言うこと自体考えられないが、一般的には、人はちゃんとお金を払って購入するのである。たとえば京都なんかでは、春を告げる味覚の代表として、その出始めにはメンタマが飛び出るような値段で八百屋の店先に並んでいる。勿論そのためには、農家の人は竹林に土入れをし肥料をやって、一年がかりで手塩にかけて育てている。収穫期には白子と言って未だ土の中にある筍を丁寧に掘り起こして、朝一番に市場に持っていかなければならない。まあ、立派な栽培食物である。我々は、間違いなく山菜感覚である。
調理法に関しても違いはある。筍には独特のエグ味があるからとのことで、そのアクを取るために苦労する。米ぬか、米のとぎ汁、重曹などをつかって一緒に湯がかなければならない。その手間を面倒がって、あるいは剥いたあとの皮の処理に困って、敬遠する向きも都会の主婦層にはあるようだ。エグ味は筍採取後の時間に比例して蓄積される。我々はというと、掘り立てを五分以内に湯がきはじめるから白湯だけで十分である。そして、(ここが重要!)剥いたあとの皮は、紙にする。
ことほど左様に田舎と都会では、筍に対する向き合い方、考え方が違う。とはいえ、変わらないのは筍料理のもつ独特の魅力である。
ヤツガレ、筍が無二の好物である。一度、自分は竹が好きで、竹にお世話になって生活をしているのだから、筍を食べるのは止めようかと考えた時期があったが、そんな考えはあっさり捨てた。最初に言った通り、竹は循環型の植物であって、よく伐って、よく間引いたほうが竹の為にも良いからだ。もしも竹(あるいは筍)が非常に希少な存在になって、得難い資源となったならそのときはまた考えもしよう。(今や高級食材である松茸が、昔、この地では食傷するほど採れたのだと言う。今はさっぱり!それと同断にはできないけれども)
反対に、筍だけを摂取し続けて、その排出物から繊維を取出して紙にしてみたらどうなるだろうかと実験したこともあったが、これは然るべき結果を出す前に悲惨な結末を迎えた。これはあまり上品な話ではないので、詳述しない方がお互いの為だろう。
いずれにしても、極端はよくないのである。
by konchikusho
| 2007-04-25 06:49
| 竹(タケについて)