2010年 05月 08日
チューリップの意味 |
龍神では桜の話題なんかもうとうに過ぎてしまったのに、弘前城公園あたりでは今が盛りと咲いていると言う。たっぷりひと月くらいは差がありますねえ。チューリップの花はどこをさがしても花が落ちてしまっているのに、六ヶ所村ではまだ固い蕾のままだそうだ。
チューリップを見るたびに思い出す詩集があった。オマル・ハイヤームの『ルバイヤート』。青年期に出会って愛読したこの詩集、四行詩ばかり百数十編でできあがった詩編の中には、酒とチューリップがよく出て来る。例えば以下のようなもの。
酒を呑め、土の下には友も無く、また連れもない、
眠るばかりで、そこには一滴の酒も無い。
気をつけて、気をつけて、この秘密、人には言うな。
チューリップ、ひとたび萎めば開かない。
(小川亮作訳 岩波文庫)
こんな諦念とも享楽ともつかぬ詩句が全編にちりばめられている。もともとチューリップは中近東原産のものだからね。してみるとチューリップは諦念の、酒は享楽のシンボルだったか? あるいはその逆か? そんなことを漠然と思いながら愛誦していたものだった。
けれども『六ヶ所村ラプソディー』を観てからというもの、チューリップ見るたびに思い出すのは、菊川慶子さんと彼女が営む『花とハーブの里』のこと。このクールで情熱的な、そして不屈の精神を持った人の戦いは途切れること無く続いていく。頭が下がる。だって彼女にとってチューリップは享楽でもまして諦念でもない、まさに『希望』のシンボルだからである。
今日(8日)から『花とハーブの里』ではチューリップまつりがはじまるそうである。一度、訪れてみたいものだ。60種6万本のチューリップだけでなくkiku-tulipにも出会ってみたいが、今年は残念ながら行けそうにない。冒頭に書いたように、かの地ではまだ蕾が多い状態で初日から満開とは行かぬらしいが、期間中、かならずや花開き、やがて爛漫と咲き誇ることを、こちら遠い龍神より祈っています。
チューリップを見るたびに思い出す詩集があった。オマル・ハイヤームの『ルバイヤート』。青年期に出会って愛読したこの詩集、四行詩ばかり百数十編でできあがった詩編の中には、酒とチューリップがよく出て来る。例えば以下のようなもの。
酒を呑め、土の下には友も無く、また連れもない、
眠るばかりで、そこには一滴の酒も無い。
気をつけて、気をつけて、この秘密、人には言うな。
チューリップ、ひとたび萎めば開かない。
(小川亮作訳 岩波文庫)
こんな諦念とも享楽ともつかぬ詩句が全編にちりばめられている。もともとチューリップは中近東原産のものだからね。してみるとチューリップは諦念の、酒は享楽のシンボルだったか? あるいはその逆か? そんなことを漠然と思いながら愛誦していたものだった。
けれども『六ヶ所村ラプソディー』を観てからというもの、チューリップ見るたびに思い出すのは、菊川慶子さんと彼女が営む『花とハーブの里』のこと。このクールで情熱的な、そして不屈の精神を持った人の戦いは途切れること無く続いていく。頭が下がる。だって彼女にとってチューリップは享楽でもまして諦念でもない、まさに『希望』のシンボルだからである。
今日(8日)から『花とハーブの里』ではチューリップまつりがはじまるそうである。一度、訪れてみたいものだ。60種6万本のチューリップだけでなくkiku-tulipにも出会ってみたいが、今年は残念ながら行けそうにない。冒頭に書いたように、かの地ではまだ蕾が多い状態で初日から満開とは行かぬらしいが、期間中、かならずや花開き、やがて爛漫と咲き誇ることを、こちら遠い龍神より祈っています。
by konchikusho
| 2010-05-08 06:01
| 生(所感、雑感)