2011年 05月 15日
帰宅 |
一応予定していたスケジュールはこなしたものとして、気持ちはそろそろ和歌山への帰り支度。土曜日、日曜日にならないと高速料金が安くならないのだが、今日は金曜日。と、そこで閃いた。そうだ、今晩は下道走って会津まで行って、Kさんのペンションに泊めてもらおう。Kさんは南会津郡昭和村の名士(現役村会議員)である。ペンション経営と古建築解体業、どちらが本業なのか分からないが、私は古木屋としてのKさんと何度かイベントでご一緒している。先日も連絡を取ったおり、ぜひ泊まりがけで遊びにおいでとお誘いを受けていた。
家を出たのは昼食後。両親に暇を告げていざ出発。ゆっくり走ったので会津若松に着くまで、ざっと4時間ぐらいかかった。会津若松からさらに一時間ほど南下。だんだん雪が深くなる。 博士峠(野口博士にちなむのか?)の頂上はご覧の通りである。車高よりも高い雪。今回の東北の旅の中でもダントツの残雪量だった。いやはや、会津恐るべし。Kさんに出会って話を聞くと、震災直後、浜通り地方から昭和村へと避難してきた方が何組かあったのだが、あまりの生活の苛酷さに耐え切れず、間もなく他所に移住してしまったとのこと。(笑っていいのか悪いのか?) Kさんとはかれこれ2年ぶり。あれこれ話がはずむけれど、そもそもこの時期(GW直前)にこんなにのんびりしていられること自体があり得ないことだという。これも完全な風評被害によるものだ、と。(これは笑い事ではない)
昭和村は『からむし織りの里』。立派な施設があると聞いたので、翌朝尋ねたがここもガラガラ。それでも思えば、私はここではじめて観光らしい観光をした。もっとゆっくりしたかったが、早めに切り上げて帰りの旅路に着く。
磐越道から北陸道へ、北陸道から名神へ、ひたすら走る。いや途中、夜も遅くなり、眠くなってきたので、杉津(すいづ)PAで車中泊した。ここは敦賀湾を一望できる休憩所。原発銀座で夜遊びして、高速増殖炉を枕に平和の夢を見る。(んなことできるわけがない)
名神から京滋バイパス、第二京阪を経由して阪和道を走る。途中、熊取に住むヨメの両親にご挨拶とご報告。
熊取には京大の原子炉実験所がある。ここにはあの小出裕章先生の研究室がある。昔からヨメの実家に行くたび、気になっていた。今回は横目で見るだけでは済まないで、調子に乗って、ミーハーっぽく写真取りまでしてしまった。良い子はぜったいにマネしないように、、、
ことのついでにもう一つだけ付け加えておくと、浜岡原発一号基が稼働し始めた頃、わたしはそこから一番近い大学の学生だった。けれどもその当時、強硬な反対運動なんてあったのかなあ。自分がノンポリ学生だったせいか、よく覚えていない。それはそれとして今回、停止の決定が下ったことはともかく喜ばしいことである。
なんだかんだで自宅に帰ったのは日暮れ時だった。よくぞご無事で、とあたたかく迎えてくれるもんだと思っていたヨメは、いつもとまったく変わりなく、わたしも何だか隣町に買い物に出かけて帰ってきただけのような錯覚に陥った。
家を出たのは昼食後。両親に暇を告げていざ出発。ゆっくり走ったので会津若松に着くまで、ざっと4時間ぐらいかかった。会津若松からさらに一時間ほど南下。だんだん雪が深くなる。
磐越道から北陸道へ、北陸道から名神へ、ひたすら走る。いや途中、夜も遅くなり、眠くなってきたので、杉津(すいづ)PAで車中泊した。ここは敦賀湾を一望できる休憩所。原発銀座で夜遊びして、高速増殖炉を枕に平和の夢を見る。(んなことできるわけがない)
名神から京滋バイパス、第二京阪を経由して阪和道を走る。途中、熊取に住むヨメの両親にご挨拶とご報告。
熊取には京大の原子炉実験所がある。ここにはあの小出裕章先生の研究室がある。昔からヨメの実家に行くたび、気になっていた。今回は横目で見るだけでは済まないで、調子に乗って、ミーハーっぽく写真取りまでしてしまった。良い子はぜったいにマネしないように、、、
ことのついでにもう一つだけ付け加えておくと、浜岡原発一号基が稼働し始めた頃、わたしはそこから一番近い大学の学生だった。けれどもその当時、強硬な反対運動なんてあったのかなあ。自分がノンポリ学生だったせいか、よく覚えていない。それはそれとして今回、停止の決定が下ったことはともかく喜ばしいことである。
なんだかんだで自宅に帰ったのは日暮れ時だった。よくぞご無事で、とあたたかく迎えてくれるもんだと思っていたヨメは、いつもとまったく変わりなく、わたしも何だか隣町に買い物に出かけて帰ってきただけのような錯覚に陥った。
by konchikusho
| 2011-05-15 08:41
| 生(所感、雑感)