2011年 05月 14日
飯舘村へ(警戒区域を行く その1) |
今(5月14日)となっては、三陸遠征の翌日(4月25日)をどう過ごしたか、どうしても思い出せない。手帳を調べてみても、予定も記録も書き込みがない。くたびれた体を休めてぼんやり一日を過ごしたのかなあ? 超過密スケジュールってわけではないので、そんな漠然とした日があってもまあ、不思議でもなんでもない。
ただその翌日(4月26日)のことだけは忘れることは出来ない。それは我が福島県の原発事故警戒区域に行った日だったから。この日は今をさること25年前、チェルノブイリ原発事故のあったまさにその日である。まあ敢えてこの日を選んで決行したという意味合いもないこともないのであったが、、、
前にも書いたけれど、18才かそこらで家を出たきりめったに帰って来ることのなかった私にとって、浜通り地方と言うのはあまりなじみ深い土地ではない。相馬の海に海水浴だか貝拾いだかに行ったと聞かされても幼い記憶で、まして我が家にはマイカーなんてなかったから、めったに行ける土地ではなかった。しかし今回は車で来ていることもあって、それが非常に容易に感じられる。そして実際、容易なものであった。結論から先取りして話してしまうと、福島原発って、実家からそんなに遠くない、むしろとっても近いぞという印象である。寄り道せずにまっすぐ向かえば一時間強で着けるのではないかな? 直線距離で60キロ程度なんだからそんなもんだろう。もちろん原発それ自体を拝みにいくのが目的ではないし、つい先日、完全立入り禁止が決定したばかりだったので、20キロ圏内に入れないことも分かっている。だから所要時間なんかどうでもいい。むしろ訪ねるべきはどこか、持ち時間をどこに費やすべきかが問題であった。
飯館村を訪れてみようと思った。今回の原発事故後の放射線測定で、飛び抜けて高い数値が出てしまった土地。20km圏外であるにも拘らず、計画的避難区域に指定されてしまった土地だ。相馬方面への主要幹線道路からは外れるが、飯館村経由で行ってみよう。私は地図とにらめっこしながら伊達市に入り、県道115号から分かれて399号線へと入っていった。うららかな春の盛り。新緑を映す光がまぶしく、所々に現れる桜はまだまだ満開で、放射性物質という気味の悪いものさえなかったらどんなに清々しい景色だろう。
月館から飯館に入る。見た目には何も変わったことはない。(当たり前のことだけれど。) でもその、「見た目に何も変わったことがないこと」で、この土地の人たちは苦しんでいる。
田地は途中までやりかけで終わっている。人も機械も見えない。
もちろん事故前のものであろうが、商工会青年部のスローガンが悲しく響く。
飯館公民館。このちょうど道向かいにコンビニがあったので入ってみた。昼時のためか割と人が多かった。近所の勤め人と思われる若い年齢層の男女が目立つ、平日なので子どもの姿なんかは勿論ない。不思議なことにタバコが十分揃っていた。(他の都市部や高速のPAなんかは不足気味なのに。)マスクも十分おいてある。こうして見ると、コンビニ内にいてマスクをしている人としていない人が半分半分くらい。車で走っていても対向車の運転手を観察すると、マスク着用者は五割程度だったなあ。みんな淡々としているようだが、ほんとうは不安でしかたがないのだろうナ。
私は完全に取材者気取りであった。特別地域にきた以上、より一層の観察眼を働かせなければならないと気負い込んでいたのかもしれない。
レジの女性店員と若い男性客との会話。どういう仲なのかは知らないが、お馴染みではあるのだろう。
女「逃げる時は、いっしょに逃げようね〜」(笑)
男「いつ? 今晩?」(笑)
笑えない!笑えないぞ〜。少なくとも私には笑えない。急に自分だけがこのなかで浮いた存在であることに気がついた。なぜか自分自身がとても恥ずかしくなった。何も買わずにコンビニを飛び出し、飯館村をあとにした。(つづく)
ただその翌日(4月26日)のことだけは忘れることは出来ない。それは我が福島県の原発事故警戒区域に行った日だったから。この日は今をさること25年前、チェルノブイリ原発事故のあったまさにその日である。まあ敢えてこの日を選んで決行したという意味合いもないこともないのであったが、、、
前にも書いたけれど、18才かそこらで家を出たきりめったに帰って来ることのなかった私にとって、浜通り地方と言うのはあまりなじみ深い土地ではない。相馬の海に海水浴だか貝拾いだかに行ったと聞かされても幼い記憶で、まして我が家にはマイカーなんてなかったから、めったに行ける土地ではなかった。しかし今回は車で来ていることもあって、それが非常に容易に感じられる。そして実際、容易なものであった。結論から先取りして話してしまうと、福島原発って、実家からそんなに遠くない、むしろとっても近いぞという印象である。寄り道せずにまっすぐ向かえば一時間強で着けるのではないかな? 直線距離で60キロ程度なんだからそんなもんだろう。もちろん原発それ自体を拝みにいくのが目的ではないし、つい先日、完全立入り禁止が決定したばかりだったので、20キロ圏内に入れないことも分かっている。だから所要時間なんかどうでもいい。むしろ訪ねるべきはどこか、持ち時間をどこに費やすべきかが問題であった。
飯館村を訪れてみようと思った。今回の原発事故後の放射線測定で、飛び抜けて高い数値が出てしまった土地。20km圏外であるにも拘らず、計画的避難区域に指定されてしまった土地だ。相馬方面への主要幹線道路からは外れるが、飯館村経由で行ってみよう。私は地図とにらめっこしながら伊達市に入り、県道115号から分かれて399号線へと入っていった。うららかな春の盛り。新緑を映す光がまぶしく、所々に現れる桜はまだまだ満開で、放射性物質という気味の悪いものさえなかったらどんなに清々しい景色だろう。
私は完全に取材者気取りであった。特別地域にきた以上、より一層の観察眼を働かせなければならないと気負い込んでいたのかもしれない。
レジの女性店員と若い男性客との会話。どういう仲なのかは知らないが、お馴染みではあるのだろう。
女「逃げる時は、いっしょに逃げようね〜」(笑)
男「いつ? 今晩?」(笑)
笑えない!笑えないぞ〜。少なくとも私には笑えない。急に自分だけがこのなかで浮いた存在であることに気がついた。なぜか自分自身がとても恥ずかしくなった。何も買わずにコンビニを飛び出し、飯館村をあとにした。(つづく)
by konchikusho
| 2011-05-14 09:19
| 生(所感、雑感)